2話と1話についてダラダラと書いていたら大変な量になってしまった。私がコンテなり演出なりで関わった話数以外についてはさらっと雑感程度にとどめることにする。実際、監督とは言っても各話数の事情にそれほど詳しいわけではない。
と、その前にここで各話の雑感の前に、大きく寄り道をする。
ここまでに「監督」「演出」「編集」などといった業界用語を何の断りもないまま使用してきた。不親切だな。私は不親切も好きだが、多少説明をしたいと思う。
特に素人さんにおいては「監督」と「演出」の二つのクレジットがあるのか、「監督」と「各話演出」の関係はどうなっているのか、といった疑問もあろう。
思いつくままに多少説明してみる。
本当は以前BBS用に書きかけていたテキストが使わないまま残っていたので、その再利用を目論んだだけなのだ。不備も多かろうが我慢いただきたい。
さて、アニメーションの演出について偉そうに書いている私だが、「妄想代理人」以前に経験した編集作業や音響作業はたった3回である(「ジョジョ」は除
外)。3回の内訳は「パーフェクトブルー」「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」である。劇場作品を3本監督したからといっても、私の経験は非常に浅
い。それは痛いほど自覚している。
アニメーション作品を監督するに当たってはシナリオやコンテ、演出、作画、美術背景、色指定、特効、編集、撮影、音響等々色々な知識が必要である。無論
それらの各プロセスにはそれぞれの専門家として、脚本家、作画監督、美術監督、撮影監督、編集、音響監督などなどが立っているので、よく知らなくても監督
することは可能であろう。私がそうだ。しかし監督がプロセスそれぞれについて知っていればいるほどイメージは豊かになり、制作現場は円滑に進むことも多
い。もっとも、一カ所だけに極端に精通していたりすると制作状況が一挙に停滞することもあるが。たとえば原画原理主義者などが演出を担当したりすると、作
画以外のプロセスには一切お構いなしになったりして、恐ろしく現場の士気は低下する。総すかん、てな状態だ。原画原理主義者はさながら作画以外は作画の家
来くらいに考えているかのようだ。原画原理主義者、というのは私が最近気に入っている概念だが、ここでは触れない。
私の場合、シナリオ、コンテの作劇に関するプロセス、美術設定、レイアウト、原画、美術背景といった絵に関するプロセスなどについては、漫画家時代の蓄
積やアニメ業界に入ってからの経験で、なんとか対処出来るようになってきた。またアナログの撮影台の制約をよく知らなかった私にも撮影のデジタル化によっ
てイメージを具体的な指示に変換するのが楽になってきた。
ところが編集と音響作業(アフレコ・ダビング)については、演出か監督でもしない限り立ち会うことがない。どちらもリアルタイムで「時間」を扱うプロセスといえる。
私にとって、いわば作劇作画については鍛えてきた筋肉だが編集・音響についてはまったく鍛えてきていない部分なのである。何しろたった3回なのだから。
よって、これは鍛えねばならない、と。そうした側面も併せ持っていたのが「妄想代理人」というテレビシリーズ企画なのである。だって13回も作業出来るんだもん。
編集に関しては諸々の都合で何度か欠席してしまったが、音響作業は皆勤(あたりまえだが)で、おかげで編集・音響に関しては以前よりイメージを具体化出
来るようになってきた。なってきたと思う。多分。そのノウハウをコンテにも反映出来るように……なりたいものだ。
その編集と音響、経験すればするほど面白くなってくる。私が漫画をあまり描きたいと思わない理由の半分くらいは、漫画にはこれがないためだと思う。一遍やったらやめられまへんで、ほんまに。
編集や音響の面白さ、といっても素人の方にはどう面白いのか、またそれらの良し悪しがどうフィルムに影響しているかもほとんど分からないであろう。私も
自分で仕事として関わってみるまでは、その奥深さの一端も理解していなかったと実感したくらいだ。特にアニメーション作品における「編集」が何をするプロ
セスなのかもよく知られていないのではないか。
アニメの場合、どのカットをどういう順で繋ぐかといった基本的な映像編集はコンテ段階であらかた済んでいるとも言えるのだが(つまり実写と違って先に編集がある)、出来上がったカットを繋いでテンポを整えたり間を調整するのは、編集の非常に重要な仕事。
編集次第では非常にテンポが悪くなったり見やすくなったりもする。先に1話のコンテを紹介した折に触れたが、例えばセリフ終わりに6コマ残すとか12コ
マ残すとか、いやもっと余韻を残したいから1+0秒は取っておくだとか、逆にセリフ尻で切って繋ぐだのケースバイケースで調整する必要がある。これを最終
的に編集で調整する。編集していると、映像は生ものだと実感することしきりである。アクションカットなどは編集で調整しないと気持ちよくならないものであ
る。アクションカットは一つのアクションを複数のカットに割って見せる方法。
たとえば「しゃがむ」という動作の場合、しゃがみかけたところで切ってその後のアクションを別なカメラポジションから捉える、と。この場合、理屈で考え
れば先のカットで捉えた動作の続きをそのまま次のカットで始めれば一連の動作として繋がるように思えるが、これがそんな単純なものではない。もしその通り
に繋いだら、あら不思議、カット変わりで動作がダブって見える。なので通常、多少「飛ばす」のである。先のカットのラストなり、後のカットの頭なりを少し
切って繋ぐのだ。そうしないと気持ち悪いことこの上ない。勿論例外はあるし、場合によっては意図的にアクションをダブらせることもあるが、ともかくこうし
た調整は編集時に行う。
テレビの場合だとフォーマットに従って、決まった尺に収める必要もある。これも編集の重要な仕事。「妄想代理人」だと本篇尺は21分。これより1コマでも長かったり短かったりしてもいけない。
「妄想代理人」の場合、オールラッシュ(編集前にカットをすべて繋いだ状態)では短くても30秒、長いと90秒くらい定尺(21分)より長めになっていたろうか。それを編集時に少しずつ切っていって21分ジャストに収めるわけである。
映像の命であるリズムを司るとさえ言える重要な編集だが、良い編集と良くない編集を見比べる機会はなく、視聴者は編集前と後を見比べることもできないの
で、編集というプロセスで何が変わるのかは分かりようもない。だいたい多くの演出担当の人間も編集がどう重要なのか、よく分かってないみたいだし。
大変重要なプロセスであるにもかかわらず業界内的にも軽視されていることに怒りさえ感じることがある。吉祥寺にあるスタジオで作られている某作品なんて編集がいなかったことさえあるというんだから(笑)
笑い事じゃないわな。
視聴者においては、編集に限らずコンテや演出の良し悪しなんかも判断する術がないであろう。
だいたい「演出」ってポジションは何だか分からない人がほとんどではないか。
「監督」がいるのに「演出」って一体?
私も昔、そういう疑問を持っていた。
「監督」と一口にいっても「絵を描ける人」「描けない人」「現場にあまり来ない人」「名前だけのやつ」などなど。
また「演出」といっても、「監督に近い演出」「テクニカルな面をサポートする演出(処理演出)」「演出助手に近い演出」などなど色々なケースがある。
監督にしろ演出にしろ様々なタイプがあるが、それぞれの能力を補完する形で他のスタッフと組み合わせることで機能を発揮すると考えてもらいたい。たとえ
ば「ネームバリューはあるが現場にあまり来ない監督」と「ネームバリューはないが監督に近い演出」を組み合わせると、概ね良好に機能したりする。
私が監督してきた劇場作品の場合でも、誰が演出担当になるかでその職分も違っていた。「パーフェクトブルー」「千年女優」の「演出」松尾氏は絵が描けない人間だったので「処理を主に担当する演出」。
「東京ゴッドファーザーズ」では原画が描ける「演出」だったので主に原画の直しを担当する「作監補佐的な傾向の演出」で、処理等に関しては演出、撮影監督、色彩設計、監督とで分け合っていた感じである。
「東京ゴッド〜」の場合は、撮出しは全カット私が担当しているが、これはどちらかというと「演出」が担当することが多いと思われる。監督が全カット撮出しするのは最近では珍しいのではなかろうか。
さて、これがテレビシリーズとなると「各話演出」というものが登場する。ややこしいですな。
たとえば「妄想代理人」7話のケースに即して説明すると、「コンテ・演出」は浜崎博嗣氏。「テクノライズ」の監督をされていた方で、「妄想代理人」では
7話を実に7話らしく際立たせてくれる演出をしてくれている。私は7話は好きだな。音響作業でも随分刺激を与えてもらったし。
7話においては浜崎さんがいわば7話の監督である、とイメージしてもらっても大筋では差し支えない。基本的に各話演出がレイアウト、原画、美術・背景など全カットをチェックする。アフレコやダビングも各話演出が主導する。
監督が各話それぞれのカットのことまで見られるわけもないので、その話数のカット内容に精通しているのは各話演出さんになる。その話数の責任者である。
じゃあ、監督(あるいは総監督)は何をしているのかということになるのだが、監督は各話数ではなく、あくまで作品全体の監督である。
他のテレビシリーズの監督がどういう態度で仕事をされているのか分からないが、私の場合、各話に対して概ね次のような仕事をしていた。
・各話のストーリーアイディア出し
・シナリオチェック
・シナリオを補足しつつ各話演出担当者とコンテの打ち合わせ
・コンテチェック
・編集に立ち会う
・アフレコとダビングに立ち会う
これだけ見ると楽な仕事に見えるが、それは間違いだ。各話の演出さんの個性や能力、諸々の事情に応じて、コンテをフォローしたり描き直したり描き足した
り、アフレコ・ダビング時に注文を出したりもしなければならない。その他、私は1話、13話のコンテ・演出も担当していたのだから楽じゃないことくらいは
想像してもらいたい。
ここで厄介なのは私が「コンテ・演出」と言いながら、クレジットには1、13話それぞれに「演出」が立っている。話が込み入ってくる。1と13に関して
は「各話演出」というタイプの「演出」ではなく、劇場作品と同じ考え方。私が監督で演出(主に処理演出担当)にも立ってもらっている。私が全カットを見る
し、演出さんにも全カットを見てもらう。同じことを見ているわけではなく、監督がセリフの間やら芝居をチェックして、細かい直しや具体的な指示、処理など
を演出さんに見てもらうという形だが、これもまた非常に重要なポジションである。
細かい事情を書こうとするとそれだけで一冊の本になるので、この程度にとどめておくが、監督と演出の区分について概ね想像は付いたであろうか。
ついでに演出という行為が何を差すのか書いておく。
シナリオを語るべき「内容」とすると、コンテ・演出は「語り口」ということになろう。どんなに面白い冗談も話し方やタイミングが悪いとひとつも面白くな
いことになるし、逆にさして面白くない話も語り手が上手なら興味深く聞ける。しんみりした話、明るい話、怖い話などなど語るべき内容に応じて語り口やその
テンポは千変万化するし、話の流れに応じてテンポには緩急が必要になる。一本調子の話を聞かされるのは苦痛というものだ。
「どう語るか」がコンテ・演出の個性ということになるが、コンテ演出はすべてに関わるポジションなので、出来上がった作品だけを見る限り、脚本に負う部分なのか、編集に負う部分なのか、あるいはコンテなのか演出なのか原画なのか、判断は難しいところ。
何ともつまらない話だな、と思ったら、コンテで脚本を改悪していたなんてケースはざらにある。逆の場合ももちろんあろうが。アニメ業界内では「つまなら
いシナリオを作画(や演出)で補って面白くした」なんてまことしやかな話をよく聞いたが、「妄想代理人」を通じて、この言い伝えは半分以上ウソだな、と確
信を持った(笑)
シナリオを読めない演出とコンテを読めない原画マンがそれぞれの身勝手を積み重ねたケースがほとんどなんじゃないか。あるいはつまらないシナリオをコンテでさらに改悪し、動かしたいだけのアニメーターがさらに内容を歪ませる。
面白くなるわけがないわな(笑)