「妄想代理人」最初のカットはビルの鏡面に映る空で雲が流れている。
作品最初のカットに無意味に鏡面を持ってくることがあるはずもなく、正像と鏡像、陰陽とか光と影とか昼と夜といった「対」となるイメージを象徴したつも
りである。これは作品全体が扱おうとしていた「捻れ」と同じ事である。対立するものを同時に抱えるということは捻れを抱えるのと同じことだろう。
続くカットは鏡面に反射した光で陰と陽に二分された路面、その向こうにはやはり人々が陰陽に分断されている。これも象徴しているのは同じ事。電話をかけ
ている男が言い訳を重ねながら陰に入って行くのも、作品全体というか「少年バット」を暗示したつもり。言い訳をする「後ろ暗い」気持ちを陰に入ることで示
している。これ以後、街の人々が言い訳を重ねて行くのも少年バットを誰もが呼びうるという下地を紹介したつもりだ。何せ「少年バットはどこにでも現れる」
ものなので。
このシーンで横断歩道などを真横方向に歩いているモブたちは、すべて「東京ゴッドファーザーズ」の原画を使い回している。もっとも、「東京ゴッド〜」は
季節が冬で、「妄想代理人」1話は夏。なのですべて夏服に着せ替える必要があった。「東京ゴッド〜」の井上俊之氏などの原画を元に、作監・鈴木さんが夏服
の修正を乗せて再動画している。歩くモブに限らず、「妄想代理人」ではBGなども「東京ゴッド〜」から使い回しているケースがあるが、すべて「除雪」の手
間がかかっている。
この街角の断片的なスケッチを積み重ねたオープニングシーンは、テキストでいえば、いわば「まえがき」とか「はじめに」にあたる。つまり「これからお話
しするのはこういう内容ですよ」といった意味合い。振り返って考えると、私の監督作品はすべてそういうオープニングになっていると思う。
「パーフェクトブルー」の「戦隊物のショー」はつまり「人間がかぶっている色々なマスクについてのお話です」というつもりだった。(不勉強なことについ最
近まで知らなかったのだが、英語の「パーソン」の語源はラテン語の「ペルソナ」にあるらしい。確かに「person」という綴りを見れば分かる。元々この
言葉は【「役者のかぶる仮面」→「役者の演じる人物」の意(研究社新英和中辞典より)】ということだそうだ)。
「千年女優」のオープニングは「思い出はまるで色々な映画の断片のようですね」ということであった。「東京ゴッドファーザーズ」は「人形」のアップから始
まる「聖誕劇」だが、これも「本物の子供ではなくても、心を込めて本物と思うことによって生まれてくる奇跡の物語ですよ」といったイメージである。
「妄想代理人」のこのシーンも「人間には陰も陽も両面があってその隙間から言い訳がたくさん聞こえてきますね」というようなことになろうか。
言い訳が重なり合いノイズとなって高まり、そこに老人が黙々と数式を書く音が聞こえてくる。作品全体において非常に重要な位置を占めていたこの老人だがキャラクタースケッチによると次の通り。
この老人はボケ老人でその言動に理性的な意味はありません。ただ惚けているだけに「あちら側」からの通信が頻繁で、まるで何か本作における「真相」あるいは「深層」を見通しているかのような存在です。見かけは本当にただのボケ老人です。